般若心経
青い空 -般若心経-
Le ciel bleu

写真は、一昨日の空だけど、昨日も今日も晴天だった。空はどうして
青いのだろう?澄んだ色、遠い色、静かな色・・・・地球の色。
C’était le ciel d’hier, tous les jours clair et bleu, de la couleur loin et calme.

最近夜になると、“コツン”と小石を落としたような音を聞くことがある。
音の正体は、四男が見ている「ゾウムシ」だ。養老猛氏は、ゾウムシの
研究者としても知られているけど、変な虫だと思う。天井まで登ったゾウ
ムシが、足を滑らせてか板間に落ちる。捕まえてみると、死んだ振りを
するのが可笑しい。古民家には、色んな虫たちがやってくる・・・・。
J’écoute parfois comme si c’était le bruit du caillou tomber. C’est le curculionoidea. Il est un insect bizarre. Il atteint au plafond mais tombe au plancher. Au temps que je l’ai attrapé, il fait semblant de mourir.

男の子は、クワガタやカブトムシは好きなのに、ゾウムシには触れな
いようだ。色即是空・・・・空即是色・・・・
Le garçon aime les scarabées mais mes fils ne touchent pas le curculionoidea.

先月、我が家の郵便ポストを、端材を使い“正六角形”にした。その上
から、柿渋を塗った。正六角形の作り方は、数学的。
La boîte à lettre que j’ai fait des restes de bois est hexagonale.

クロとシロは、大きくなって来た。トカゲやバッタを捕まえて、パクパク
食べているところを何回か目撃した。野性味を感じるクロとシロ・・・・。
Les chats viennent de grandir. J’ai vu souvent qu’ils ont mangé des lézards et criquets.

“自然は、もの言わぬ教師”とも言うけれど、時々面白いものも発見。
On dit que la nature est un meilleur professeur.

毎月1回ほどのペースで、地域新聞をつくり配布しているのだけど、
6月号では『般若心経』の現代語訳を添付してみた。お経は読めても
意味が分らないと心がこもらないから、僕もいい勉強になった。四男
は、高野山こども園の年中児だけど『般若心経』をよく唱和している。
以前、原一男監督(疾走プロダクション)の映画、「全身小説家」を
観た。作家・社会運動家でもある井上光晴氏の、晩年を追ったドキュ
メンタリーだったが、病床の枕元に『般若心経』が置かれてあった。
J’écris et distribue le papier mensuel régional. En juin j’y ai attaché le soutra de cœur, Hannya-Shingyo en parole contemporaine. Hannya-Shingyo est le soutra le plus populaire au Japon. Le quatrième fils le lit au jardin d’enfants à Koyasan.

“般若心経”は、「慈悲・利他の心を出発点として得られる最高の
境地」とされる。以下、現代語訳を掲載。仏教に興味が無い方は、
スルーしてね。ただ、日本の国宝は仏教系がほとんどだから、自国
のアイデンティティーとして学習した方が得だと思う。お経の内容は、
お釈迦様が、弟子のシャーリプトラに話すように語られている。
Hannya-Shingyo expresse l’état d’âme le plus haut de miséricorde et de charité . Beaucoup de trésors nationaux japonais sont l’art bouddhique. Hannya-Shingyo s’écrit de la forme de prêche de Çakyamuni pour son disciple.
☆☆☆☆
観音菩薩が深い般若の行を行なわれていたときに
人間の体と心はすべて「空」なのだと見極められて
いっさいの苦しみを除かれた
シャーリプトラよ
形があるとは空と同じなのだ
しかし空であることもまた形なのだ
形があるからこそ空であって
空であるから形があるのだ
人間の精神もまた同じである
シャーリプトラよ
これこそが諸法が「空」という実体なのだ
どこからか生まれたものでもないし滅びるものでもない
汚れるものでも汚れないものでもない
増えるものでもなければ減ずるものでもない
だから「空」の中では形などなく
受・想・行・識もなく
眼・耳・舌・体・心といった 感覚器官もない
この感覚器官から得られる
形・音・香り・味・触感・心の対象もない
このように眼界から意識界まで含めた
六つの心の働きもない
無明もなく また無明もつきない
こう考えれば老いも死もなく
また老死がつきることもない
四つの覚りもなければ
もともと得るものがないのだから
智もなく得るものはない
覚りを得ようと修行する者は
般若波羅密多に従っているので
心の妨げがなく 妨げがないから恐れるものがなく
いっさいの誤った考えから遠く離れて
涅槃の世界に到達できる
三世の諸仏は 般若波羅密多を実践したので
この上ない最高の覚りを得た
このように 般若波羅密多を実践する行こそが
偉大な真言であり 覚りのための真言であり
ほかに比べようもない真言であり
これによってあらゆる苦しみを除くことは
まぎれもない
ゆえに般若波羅密多の真言を説こう
その真言とは
往き往きて彼岸に往き
完全に彼岸に到達したものこそ
覚りそのものである
めでたし 般若心経
☆☆☆☆

因みに「五蘊」(ごうん)は、色・受・想・行・色をいう。人間の体は
物質から出来ている。体のように形があるものを「色」という。人には
形や物質(色)を認識する感覚があるので、それを「受」という。人は
感覚を分類し言葉にまとめられるので、これを「想」という。それを記憶
し、意志が作れる力があることを「行」という。受・想・行によって生まれ
る心の状態を「識」という。
Skandha est un terme sanskrit qui signifie «épaule», «tronc» ou «corps», et est souvent traduit par "agrégat d'appropriation". Dans l'école philosophique du Bouddhisme Skandha désigne les cinq agrégats ou composantes de l'ego.

紫陽花・・・青い空・・・・日本のDNA・・・・・。
大切なのは、こころ。かたちではない。
そして、どちらでもなく、どちらでもある・・・・。
L’hortensia ... le ciel bleu ... japonisme. Ce qu’il est important est le cœur pas de forme mais forme expresse le cœur.
Le ciel bleu

写真は、一昨日の空だけど、昨日も今日も晴天だった。空はどうして
青いのだろう?澄んだ色、遠い色、静かな色・・・・地球の色。
C’était le ciel d’hier, tous les jours clair et bleu, de la couleur loin et calme.

最近夜になると、“コツン”と小石を落としたような音を聞くことがある。
音の正体は、四男が見ている「ゾウムシ」だ。養老猛氏は、ゾウムシの
研究者としても知られているけど、変な虫だと思う。天井まで登ったゾウ
ムシが、足を滑らせてか板間に落ちる。捕まえてみると、死んだ振りを
するのが可笑しい。古民家には、色んな虫たちがやってくる・・・・。
J’écoute parfois comme si c’était le bruit du caillou tomber. C’est le curculionoidea. Il est un insect bizarre. Il atteint au plafond mais tombe au plancher. Au temps que je l’ai attrapé, il fait semblant de mourir.

男の子は、クワガタやカブトムシは好きなのに、ゾウムシには触れな
いようだ。色即是空・・・・空即是色・・・・
Le garçon aime les scarabées mais mes fils ne touchent pas le curculionoidea.

先月、我が家の郵便ポストを、端材を使い“正六角形”にした。その上
から、柿渋を塗った。正六角形の作り方は、数学的。
La boîte à lettre que j’ai fait des restes de bois est hexagonale.

クロとシロは、大きくなって来た。トカゲやバッタを捕まえて、パクパク
食べているところを何回か目撃した。野性味を感じるクロとシロ・・・・。
Les chats viennent de grandir. J’ai vu souvent qu’ils ont mangé des lézards et criquets.

“自然は、もの言わぬ教師”とも言うけれど、時々面白いものも発見。
On dit que la nature est un meilleur professeur.

毎月1回ほどのペースで、地域新聞をつくり配布しているのだけど、
6月号では『般若心経』の現代語訳を添付してみた。お経は読めても
意味が分らないと心がこもらないから、僕もいい勉強になった。四男
は、高野山こども園の年中児だけど『般若心経』をよく唱和している。
以前、原一男監督(疾走プロダクション)の映画、「全身小説家」を
観た。作家・社会運動家でもある井上光晴氏の、晩年を追ったドキュ
メンタリーだったが、病床の枕元に『般若心経』が置かれてあった。
J’écris et distribue le papier mensuel régional. En juin j’y ai attaché le soutra de cœur, Hannya-Shingyo en parole contemporaine. Hannya-Shingyo est le soutra le plus populaire au Japon. Le quatrième fils le lit au jardin d’enfants à Koyasan.

“般若心経”は、「慈悲・利他の心を出発点として得られる最高の
境地」とされる。以下、現代語訳を掲載。仏教に興味が無い方は、
スルーしてね。ただ、日本の国宝は仏教系がほとんどだから、自国
のアイデンティティーとして学習した方が得だと思う。お経の内容は、
お釈迦様が、弟子のシャーリプトラに話すように語られている。
Hannya-Shingyo expresse l’état d’âme le plus haut de miséricorde et de charité . Beaucoup de trésors nationaux japonais sont l’art bouddhique. Hannya-Shingyo s’écrit de la forme de prêche de Çakyamuni pour son disciple.
☆☆☆☆
観音菩薩が深い般若の行を行なわれていたときに
人間の体と心はすべて「空」なのだと見極められて
いっさいの苦しみを除かれた
シャーリプトラよ
形があるとは空と同じなのだ
しかし空であることもまた形なのだ
形があるからこそ空であって
空であるから形があるのだ
人間の精神もまた同じである
シャーリプトラよ
これこそが諸法が「空」という実体なのだ
どこからか生まれたものでもないし滅びるものでもない
汚れるものでも汚れないものでもない
増えるものでもなければ減ずるものでもない
だから「空」の中では形などなく
受・想・行・識もなく
眼・耳・舌・体・心といった 感覚器官もない
この感覚器官から得られる
形・音・香り・味・触感・心の対象もない
このように眼界から意識界まで含めた
六つの心の働きもない
無明もなく また無明もつきない
こう考えれば老いも死もなく
また老死がつきることもない
四つの覚りもなければ
もともと得るものがないのだから
智もなく得るものはない
覚りを得ようと修行する者は
般若波羅密多に従っているので
心の妨げがなく 妨げがないから恐れるものがなく
いっさいの誤った考えから遠く離れて
涅槃の世界に到達できる
三世の諸仏は 般若波羅密多を実践したので
この上ない最高の覚りを得た
このように 般若波羅密多を実践する行こそが
偉大な真言であり 覚りのための真言であり
ほかに比べようもない真言であり
これによってあらゆる苦しみを除くことは
まぎれもない
ゆえに般若波羅密多の真言を説こう
その真言とは
往き往きて彼岸に往き
完全に彼岸に到達したものこそ
覚りそのものである
めでたし 般若心経
☆☆☆☆

因みに「五蘊」(ごうん)は、色・受・想・行・色をいう。人間の体は
物質から出来ている。体のように形があるものを「色」という。人には
形や物質(色)を認識する感覚があるので、それを「受」という。人は
感覚を分類し言葉にまとめられるので、これを「想」という。それを記憶
し、意志が作れる力があることを「行」という。受・想・行によって生まれ
る心の状態を「識」という。
Skandha est un terme sanskrit qui signifie «épaule», «tronc» ou «corps», et est souvent traduit par "agrégat d'appropriation". Dans l'école philosophique du Bouddhisme Skandha désigne les cinq agrégats ou composantes de l'ego.

紫陽花・・・青い空・・・・日本のDNA・・・・・。
大切なのは、こころ。かたちではない。
そして、どちらでもなく、どちらでもある・・・・。
L’hortensia ... le ciel bleu ... japonisme. Ce qu’il est important est le cœur pas de forme mais forme expresse le cœur.
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